日本新年號「令和」日文意思與由來
日本首次採用元號是西元645年,元號為大化(たいか),在以前若有天災人禍便可變更元號,直到明治天皇時期頒布「一世一元」制度,也就是一個天皇一個元號,天皇在位期間不變更元號,不過今年改元有別以往,並非天皇駕崩,而是天皇生前退位,因此明仁天皇是「一世一元」制度這200年來首位生前退位的天皇。
令和的由來與意思
平成31年(西元2019年)4月1日11點半,日本公布最新元號「令和(れいわ)」,源自於萬葉集(万葉集:まんようしゅう)由宇梅乃波奈(うめのはな)所撰的梅花32首之序文,此元號為歷史上首次引用日本經典而非出自中國古典書籍。
[日] 初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫す。
[中] 初春令月,氣淑風和,梅披鏡前之粉,蘭薰珮後之香。
[意] 希望新時代的日本社會能像梅花那般頂住嚴寒,迎來新春。
<完整全文>
梅花謌卅二首并序 宇梅乃波奈(うめのはな)
標訓 梅花の歌三十二首、并せて序
天平二年正月十三日に、帥の老の宅に萃まりて、宴會を申く。時、初春の令月にして、氣淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫す。加以、曙の嶺に雲移り、松は羅を掛けて盖を傾け、夕の岫に霧結び、鳥は穀に封められて林に迷ふ。庭には新蝶舞ひ、空には故鴈歸る。於是、天を盖とし地を坐とし、膝を促け觴を飛ばす。言を一室の裏に忘れ、衿を煙霞の外に開く。淡然と自ら放にし、快然と自ら足る。若し翰苑に非ずは、何を以ちて情を濾べむ。詩に落梅の篇を紀す。古と今とそれ何そ異ならむ。宜しく園の梅を賦して聊かに短詠を成すべし。
天平二年正月十三日、萃于帥老之宅、申宴會也。于時、初春令月、氣淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香。加以、曙嶺移雲、松掛羅而傾盖、夕岫結霧、鳥封穀而迷林。庭舞新蝶、空歸故鴈。於是盖天坐地、促膝飛觴。忘言一室之裏、開衿煙霞之外。淡然自放、快然自足。若非翰苑、何以濾情。詩紀落梅之篇。古今夫何異矣。宜賦園梅聊成短詠。
元號啟用條件
根據《元号選定手続》,新元號必須具備以下條件:
① 国民の理想としてふさわしいような意味を持つ
其意義須符合國民之理想
② 漢字2文字であること
由兩個漢字所組成
③ 書きやすいこと
易寫
④ 読みやすいこと
易讀
⑤ これまでに元号またはおくり名として用いられていないこと
至今未使用過的年號或諡號
⑥ 俗用されていないこと
非通俗使用
「令和」啟用時間
雖然是4月1日公布,不過正式啟用時間為5月1日,因此本月(4月)仍為平成31年,5月1日即為令和1年,也就是說今年有兩個元號,換句話說,今年4月出生跟5月出生的人將會是不同的世代,明明是同學,一個是平成時代,一個是令和時代,不知道4月出生的人會有什麼感受?。如果是4/30跟5/1分別出生的雙胞胎應該會更囧吧?。
近現代元號之意涵
明治 (めいじ) |
期間: 1868.9.8~1912.7.30 典故:《易經》「聖人南面而聽天下,向明而治」 意涵:聖人坐北朝南,聽聞天下,使天下朝向光明而治。 |
大正 (たいしょう) |
期間:1912.7.30~1926.12.25 典故:《易經》「大亨以正,天之道也」 意涵:行事須行正道,如此便能亨通無阻。 |
昭和 (しょうわ) |
期間:1926.12.25~1989.1.7 典故:《書經》「百姓昭明,協和萬邦」 意涵:施德政於百姓,方能使天下萬邦種族和睦相處。 |
平成 (へいせい) |
期間:1989.1.8~2019.4.30 典故:《史記・五帝本紀》「内平外成」;《書經》「地平天成」 意涵:日本國內外皆祥和平靜。 |
公布新元號影像
漢字書寫:
分享自:書道・篆刻伯豐道人 頻道