「だって」和「でも」的差別
「だって」和「でも」的用法與意思有許多共通之處,因此可能會有些人覺得它們的差異是否只在於「口語化」。確實也有這樣的傾向,但實際上「だって」和「でも」的區別不止如此,也有無法替換使用的情況。本篇將解釋幾種「だって」和「でも」用法與意思的差別。
「だって」和「でも」皆可使用
逆接(極端例子的假定)
表示與一般常識或背景知識所預期的情況相反,舉出來的例子通常為極端的例子,中文多譯為「即使、就算、連~」。
- いくらあいつだって、このくらいの常識はわきまえてるはずだ。
いくらあいつでも、このくらいの常識はわきまえてるはずだ。
即使是他,也應該知道這種常識吧。 - たとえ雨だって買い物に行かなければならない。
たとえ雨でも買い物に行かなければならない。
即使是下雨,也要去買東西。 - そんなことは子供だってできます。
そんなことは子供でもできます。
那種事情連小孩子也會。
全面肯定
接於「何」、「いつ」、「どこ」等疑問詞後面之肯定句,表示包括全部的意思,有全面肯定的意味,中譯多為「~都~」。
- お腹が空いている時は何だって美味しく感じる。
お腹が空いている時は何でも美味しく感じる。
肚子餓的時候,不管吃什麼都會覺得很好吃。 - こんなにいい製品なら誰だって欲しくなるよ。
こんなにいい製品なら誰でも欲しくなるよ。
這麼好的產品,誰都會想要吧。 - そんなことをされたら、誰だって困るよ。
そんなことをされたら、誰でも困るよ。
被那樣對待的話,誰都會感到困擾的。
「全面肯定」是指這句話是肯定句,而無關正面或負面意思,因此「誰だって/でも困るよ」是「所有人都(全面肯定)」的意思,即使後面是負面(困る)也可以使用。而如果要用於否定(~ない),可以使用「も」,如「誰も困らないよ(誰都不會感到困擾的)」。
延伸閱讀:「でも」延伸問題:「何でもない」用法
只能用「だって」的情況
當然
表示照理來說,會出現這樣的情況也是理所當然的。